元在校生や体験入学で寄せられた保護者の声をご紹介します。

保護者の声

低学年保護者様

 息子は受験生として塾に通っています。ベルリン日本人学校の勉強だけで、低学年から塾で頑張っている子達と遜色なく頑張れています。優秀な先生方が熱心にみてくださる日本人学校の教育はレベルが高いのだと実感中です。   
 授業中も意見をよく言うのでクラスの雰囲気が変わってきて、他のクラスメイトも手をあげるようになってきたということです。野球も頑張っています!


保護者の声

中学年保護者様

 息子はすっかり野球少年で毎日暗くなるまで野球の練習です。元気でやんちゃですがメリハリがあり授業をしっかり進められるように、日本のクラスでは友だちにも声がけをしているそうです。日本人学校でメリハリを学んだおかげです。 
 図工も相変わらず得意で、消防署のコンテストに入選し市役所に絵を飾ってもらいました。図工は同じ教科書を使っていますが、ベルリン日本人学校の先生の授業は自由度が高く楽しかったそうです。同じ教科書でも先生の教え方によって違うのだと実感しています。



保護者の声

体験入学保護者様

 温かい大家族のような学校です。先生と保護者の距離が近く、子供の学校での様子を聞いたり、何か気になることがあれば、気軽に相談することができます。一日中、日本語の環境で過ごすことで、知っている言葉も増え、家でお絵描きをしている時も絵の中にカタカナが出てくるようになりました。 
 子供たちも仲が良く、放課後にいろいろな学年の子が一緒に遊んだりしていたのが印象的でした。



元在校生の声

三ツ井勇介さん(2023年度卒業生) ~卒業式「お別れの言葉」から~

 十二歳の三ツ井勇介は人と話すのが苦手で、ゲームと YouTube が好きな子だった。もともと、千葉に住んでいたが、小六のとき、お父さんの仕事の関係でドイツに引っ越した。彼は、違う国に住むことがとても嫌だった。なぜかというと、言葉が分からないし、ご飯が日本より美味しいとは思わないし、学校がとても小さいから。 かれこれ、住み始めて一年と少し経っても、未だに環境に慣れてなかった。
 中二になり、後輩ができた。そして、新しい先輩も出来た。先輩とも行事を重ねていき、親しくなっていった。先輩と後輩がいる環境が居心地良く感じていた。特に覚えてる思い出はハンブルクという、ドイツの北にある街に行った修学旅行だ。人と話すのが苦手だった彼はだんだん会話が楽しいと感じるまでになっていった。最高学年になり、この時はもう学校が楽しいと感じるぐらい馴染んでいた。学校は小さいけど、それのメリットも沢山発見できるようになった。この年に彼は高校受験があった。休み時間も勉強するようになって、人と話すことが減っていった。だが、塾という新しい環境で、彼は新しい友達ができ、受験も孤独ではないな、と思うようになった。その受験も無事に終わり、遂に彼は今日卒業式を迎える。
 僕の中学校生活の約半分は同級生がいない状況が続き、そのため一人でいるのが好きでした。だから、人とコミュニケーションを取るのに慣れておらず、ずっと怖いと思っていました。しかし、この学校では、周りの友達と先生がとても近い距離で接してくれたので、とても居心地が良く、やがて時間をかけて馴染めるようになっていきました。勿論一人の時間も好きですが、今は人と話をしたいと思うことが多くなりました。
 僕が楽しく中学校生活を送れたのは、まず僕に優しく、心を開いて接してくれた周りの友達のおかげです。ヴァンゼーの校舎の中庭で、みんなでサッカーや鬼ごっこをしたのはいい思い出です。学年も出身地も異なる子たちとの学校生活を通して、多様性を考えることができました。みんなとの思い出は忘れません。
そして僕が精神的に成長できたのは、友だち関係や将来のことで悩んだりした時、親身になって話を聞いてくださった先生方のおかげです。ありがとうございました。
 進学する高校は、とても人数が多くて、いろいろな考え方の人がいるのではないかとドキドキしています。僕はこの学校で身につけた多様な考え方や人との接し方を糧にして、周りの友達と助け合い、悩みを共有し合い、支え合っていけるように頑張ろうと思います。これまで本当にありがとうございました。

勇介さん
児童生徒会長や応援団長として活躍しました

山添葵さん(2023年度卒業生) ~卒業式「お別れの言葉」から~

 私は、日本が大好きで、日本に居る頃「ドイツになんか行きたくない!」と両親に何度も泣きついて困らせていました。ドイツに来てからインターナショナルスクールに入っても、この思いが変わる事はありませんでした。そのおかげで私の口癖は「日本に帰りたい」。何かあったらとりあえず「日本に帰りたい」でした。こんな状態だったので、たとえベルリンに居たまま日本人学校に転校しても同じだろう、そう思い込んでいました。しかし、私の予想は大間違いでした。インターとも、日本の学校ともどこか違う。 八校の学校を巡ってきて、日本の学校を知った気になっていた私にとって、全校生徒二十人という小規模な学校、三人だけの教室はとても新鮮でした。みんなが主役になれる学校で、どの授業も誰もが率先して参加する事のできるあの雰囲気に、私は魅了されました。休み時間等も、この学校は学年の「差」を感じる事がなく、幅広い年齢の児童生徒が共に助け合い、互いに笑い合っていました。本当に、「家族」の様な学校です。そんな日本人学校で過ごした時間は一瞬でした。まだヴァンゼーにあった校舎で、登校初日にみんなの前で自己紹介したあの日が昨日のようです。
 私がこの一年で特に思い出に残った出来事は夏季学校と学校祭です。夏季学校の時には、まだ学校に馴染めて居なくて、とても緊張していたのを覚えています。湖水浴やクジャク島等の活動を通して段々と自分を出す事が出来ました。同じ部屋のみんなと消灯時間まで話し続けたのは良い思い出です。
 学校祭では、ソーラン節の新しい振り付けも、合唱も、ドイツ語劇のセリフも、みんなで何時間も練習しました。全員が全力で取り組んで作り上げた学校祭。実行副委員長や司会等、沢山の仕事をもらってとても張り切っていた私の学校祭が終わった時の達成感は、計り知れないものでした。
 日本の勉強が追いついていなかった私に、志望校に合格する位の学力と、そして自信をくれた先生方、いつも明るい笑顔で私を迎えてくれて、元気を分けてくれたみんな。私のドイツでの生活の最後の年の思い出を、素敵なものにしてくれてありがとう。ここでの思い出を、私は決して忘れません。

葵さん
学校祭のドイツ語劇で発表する様子

足立晴香さん 

関西学院千里国際高等部→関西学院大学(総合政策学部)→シドニー大学(交換留学)→NTT西日本へ就職

 ベルリン日本人国際学校で「国際的な価値観や視野」を培い、またアットホームな学校での生活を通して、上級生としてのリーダー的役割や、下級生に目線を合わせた対応を学び得ることができました。   
 これらの経験が私のその後の学生生活に、大きく活きました。帰国後、日本人学校の英語・ドイツ語の授業で得た語学力や、コミュニケーション能力を役立てる活動を実施しました。
 高校生の時から、日本赤十字社の「国際奉仕活動」に取り組み、2019年に日本代表として、スイス・ジュネーヴで開催された赤十字国際会議にて、核兵器廃絶スピーチを行いました。また、環境先進国ドイツの滞在を踏まえ、大学生の頃には、環境政策の研究をオーストラリアのシドニー大学で行いました。さらに、大学までドイツ語学習を続け、いつでもベルリンへ行き、不自由にないように、維持してきました。
 日本人学校で得た国際的な価値観と、ベルリンでしか得られない貴重な経験を得て、2022年にNTT西日本に就職し社会人になりました。日本人学校は私にとって、かけがえのない最高の学び舎です。

中学生の頃の晴香さん

スイス・ジュネーブでの赤十字国際会議でスピーチする様子


韓 友嘉さん 

日本人学校→インターナショナルスクール→ベルリン・シャリテ医科大学→バイエルン州 病院勤務医・小児科 

 ベルリン日本人国際学校には2004年~2008年、小学四年生から中学二年生まで在籍しました。全校生徒数が日本での一クラスにも満たないため、低学年から中学生までが家族のように過ごしたあの日々がとても懐かしいです。授業では先生とほぼ一対一の環境でのびのびと学ばせてもらいました。日本の学校と同じカリキュラムに加え、ネイティブスピーカーの先生にドイツ語を教わり、ドイツの現地校生徒と交流する時間も非常に有意義でした。また、社会見学でベルリンの様々な場所を訪れたり、修学旅行でドイツの様々な街に足を延ばしたりして歴史へ理解を深めることができたのはとてもいい思い出です。  
 結局ベルリンに長期滞在することとなって転校しましたが、日本人学校時代にできた友達とは大人になった今でも連絡を取り合う仲で、同窓会なども積極的に参加しています。今は子供のころからの医者になるという夢を叶えバイエルン州におりますが、2024年から再びベルリンに戻り、引き続き小児科で働いていく予定です。

小学校時代に劇をする友嘉さん

小児科で働く友嘉さん

赤嶺 剣悟さん 

日本人学校→早稲田大学を卒業後、2005年より国際協力機構(JICA)で勤務開始→語学習得のためスペイン留学→ペルーに赴任→インドに赴任→帰国後、中南米向けODAに携わる。

 1996年にベルリン日本人国際学校の中学2年生に編入し、卒業までの2年間をWannseeの校舎で過ごしました。卒業から四半世紀が経つというのに、新緑の合間から見えるWannseeの青い湖面や、校庭のブナの木の鮮やかな紅葉は今でも鮮明に思い出されます。
 全校生徒20名弱という小さな学び舎でしたが、ここでの経験がその後の人生の基礎になったと強く感じます。まず、少人数クラスの特性を存分に生かした授業を通じ、得意科目で実力を大きく伸ばすことができました。同級生も私も英語が好きだったので、教科書の内容はすぐに終え、語彙やリスニングを徹底的に鍛えてもらいました。好きだった英語が更に得意となり、加えて外国語に対する好奇心が高まったので、その後スペイン語も習得し、今は英語とスペイン語を使ってアジアや中南米に対する国際協力の仕事をしています。
 もう一つの大きな経験として、国際都市ベルリンでの学校生活を通じ、学校の内外で様々な背景の人たちに出会ったことが挙げられます。「国際性」「多様性」とは何かを説明するのは難しいですが、多感な学生時代に肌感覚で身につけられたことは大きな財産であり、今の仕事で様々な国の人たちと接する際にも役立っています。

小学校時代の剣悟さん

世界で活躍する剣悟さん